彼女たちの結婚話がつまらなくって仕方がない
私はどんなに仲の良かった親友でも、既婚者になったら、さらに子供が産まれたら、もう彼女たちは基本的に今までと同じ友達ではないんだ、と認識することにしている。私がとくに仲が良かった友人たちは割と結婚が遅くて、出産した人となるとまだまだ少数派なのだけど、それでも34歳になって気が付けば結婚していないのは私だけになった。
本当は、最後の二人、という感じで残っていた私ともう一人の親友が続けて今年結婚することになっていて「おめでたいね!」ってみんな言ってくれていたのだけど……少しため息。
結果的には私一人が残った。だから今までと同様につきあっていける友人がもう、私にはいないということになる。もちろん、友情そのものは変わらないのだ。彼女たちに何かあれば、助けが必要なら、私は今でも自分でできるかぎりのことをすると思う。彼女たちと共有できる楽しみもわかりあえる思いもたくさんある。
けれど、今までのようにお互いの恋愛の話を親身に聞くようなことは、本当の意味では彼女たちとはもうできないのだということを覚悟しておかなきゃいけない。
このことは不思議と、こちらがわの視点でははっきり認識できるのに、向こうからは見えないようだ。恋愛の話をしていたのと同じノリで、彼女たちは、妊娠がどんなに素晴らしいものか、子供がどんなに愛しく思えるものかを電話口で語る。
それはもちろん素晴らしいことなのだろうと私にも想像はつく。でも、私にはその思いを共有することができない。よかったね、おめでとう、と心から言うけれども、それ以上の話は正直に言って私には退屈でしかない。私には未知の世界であり、かつ、興味の持てない世界だ。恋愛体質な女。さらに言えばもしかしたら一生未知の世界であるかもしれない話であり、それを手にして幸福の絶頂にいる彼女たちが延々と私に語り続ける様子は、私にとっては周囲が見えなくなっている人のように思える。
決してそうではないことはわかっている。彼女は今までと同様に、人生で出会う様々な感動や悩みを、親友とわけあおうとしているに過ぎないのだ。けれど私は疑問を持たずにいられない。どうして向こう側の世界からは見えないんだろう?私がそんな話題にはまったく興味がなくて、延々と聞き続けるのは不快でさえあることに?
シングルの友人に、「私がOne of Themになったらちゃんと指摘してね」と言ってある。
One of Them、あの人たちのうちの一人、つまり向こう側の世界に行ったときに、まだシングルの彼女に対して、「旦那がどうこう」とか、「私の子供は世界一可愛い」とかの親ばかトークを始めるような態度を私がとったら、という意味だ。
彼女は約束してくれた。「Hey, you've just become One OF THEM!!」と、厳しく忠告してあげる、と。シングルの女性達にとって、シングル同士の友人は家族に等しい存在だ。とくにアメリカに住んでいると、夫婦というカップルの単位は非常に堅固なもので、どんなときにも基本的にカップルで行動する、というルールが一般的に浸透している。
例えば結婚式に出席するとき、特定の恋人がいなくても、女友達、男友達に「ウェディングに出席するのでデートになってもらえないか」と頼んだりする。動詞を名詞に変えてしまう、パーティに一緒に出る連れのことを「デート」と呼ぶのだ。恋人とは違って、その場の連れにすぎない相手を呼ぶための言葉がこのようにちゃんと存在する。
それからもうひとつ、アメリカは親子のつながりより夫婦のつながりが基本的に重視される。たとえばスペースシャトルに乗り込む宇宙飛行士たちは、見送りを許される家族が「一番近い一人」に制限されるが、この一番近い一人、というのは親とか子供ではなく、夫あるいは妻なのだ。結婚するカップルの半数以上が離婚するアメリカで、血のつながりより夫婦のつながりが重視されるのも不思議なものだけど……
とにかく、親子のつながりがこのように比較的弱いアメリカでは、たとえば息子、娘が大学に入るために家を出て行く18歳のときから、基本的に子供は一人の力で生きていく。大学の学費は本人が銀行から借りて、就職してから返していくのがごく一般的。新社会人たちにとって「学生ローンをいかに返すか」は共通の話題だ。
そんな社会では余計に、「親からは自立したけど、まだ結婚していない」状態のシングル達にとって、友情の結束が重要なものになってくる。仕事をさがすとき、引っ越すとき、病気になったとき、頼りになるのはシングルの友人だ。
恋愛の話だけで延々と何時間も長電話していた頃が懐かしい。私がそういう日々を過ごした頃、まだ日常会話には携帯ではなくて自宅の電話を使っていた。そう考えると遠い日々になってしまったなという気がするけれど。
そんな長電話の相手が、最後に残っていた二人、のもう一人だった。結婚してシロガネーゼとなった彼女はサクセスフル・マリッジの王道を行っている。
仕事する必要もないのだと思うけど、自分の特技を生かしてフレキシブルにできる仕事の準備をしているし、習い事をたくさんしていて、年上の旦那様はとっても優しくて優秀で、絵に描いたような優雅な生活。
彼女から電話があって、今日は体調が悪いから昼過ぎまでごろごろしていたの、こんなとき主婦は幸せだと思うわ、とのんびりした口調で言うのを聞いたとき、おなじみの気持ちを味わった。
私が決してシェアすることのない感覚。主婦の優雅な生活の楽しみ。毎日働くこと、家賃を払うために働き続けるのが当たり前で、ときに愚痴をこぼしながらもそんな日常を愛する私とは明らかに別次元のところにある感覚を、やはり彼女もまた、独身時代と同じように親友とシェアしたくて口にする。
それが嫌だとか彼女に対して憤るとかいうのではない。ましてやうらやましいというのとも全然違う。幸せそうな彼女をほほえましく思う。主婦になるとそんな感じなのね、ふうん、という純粋な好奇心だってもちろんある。ただ、ああ、最後まで私のシングル友達だった彼女も、今は向こうの世界にいったのね、という感慨がある。
私たちは30代半ば、彼女の結婚相手は40代の方だったために、披露宴の雰囲気はとても落ち着いた大人のパーティという様相になった。
もと婚約者と出席するはずだったその披露宴に、私は結局彼氏を連れて行くことになった。(当日近くなるまで忘れていたのだけど、日本の披露宴は無理してパートナーを伴う必要はなかったので、一人で出席すればよかったのだけど。アメリカのウェディングに慣れてしまっていた私は、誰か連れて行かなければ、と思い込んでいた)黒いスーツを着ても髪はアッシュブラウン、片耳にピアス、という姿の若者を連れてるような女性は、当然ながら会場内で私だけだ。大人の出席者の中で彼氏はダントツ最年少だった。
落ち着いた会話を進める人々のテーブルで、私は彼氏と手をつないだままフォークを使えなかったり、ふと気をゆるめた隙に頬に素早くキスされて、怒れずに笑ってしまったり、周囲の大人達には顰蹙な行為もあったかもしれない・・・彼氏にひきずられて私のマナーもちょっと降下気味?
彼氏を選んでしまった私の恋愛話を聞くにつけ、「ああ、最後にそんな気持ちになったのなんて何年前かしら」と笑う既婚者の友人たち、私と彼氏の様子を大目に見ていてくれればいいのだけど。
新郎はアメリカの大学を卒業してアメリカでしばらく働いていたと誇らしげなプロフィールが紹介される。
ああ、あんな人と結婚したら、まずは一生「どうやって食べて行くか」なんて心配はしなくて済むんだろうなあ、と私は一瞬まぶしいような思いで親友を見る。それからふと吹き出したいような気持ちになる。目をつぶって結婚してしまえば私もそんな一生を手にいれられるチャンスが二度あったっけな。それから、私は自分がアメリカの大学院を卒業してアメリカで働いてるんだった。
社長夫人になるんじゃなくて社長になりたい。私はいつだってそういう選択をしてきたんだった。そして熟れた葡萄の房からとっておきの一粒をつまみあげるように、恋愛を選びたいと思うのだ。
私のおいしい一粒、彼氏くんが私のとなりでニコニコしている。彼にとってストライクゾーンの「30代半ばのお姉さん」たちがたくさんいて嬉しくて仕方ないのだ。「美樹ちゃんがダントツ一番だよ!」としつこいくらいささやきつつ・・・
完璧なサクセスフル・ウェディングのゴージャスな披露宴が終わりにちかづくころ、私は早く彼氏と二人の部屋に戻りたくてしかたがないのだった。ああ…恋愛体質な女の結婚できない人生。
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