恋愛体質なアトピー女
2016年9月20日火曜日 アトピー
アラームの設定をオフにしてどれくらい眠れるかな、と思ったら、7時にまぶしい朝の光で目が覚めた。見渡す限りの青空。春らしい小鳥のさえずり。とても、とても静かな朝だ・・・日曜の朝はいつもそう。ここでは、午前中は教会に行く人が多くて、一時的に住宅地の人口が極端に減る。
仕事のある日は4時、5時に起きているので、私にとって7時は立派な寝坊だ。ベッドに入るのは夜の9時、10時。11時を過ぎてしまうと、夜更かししたという気分になる。
私はここ5年間、海外に暮らしている。
その前の29年間は東京、都内を一歩も出ずに生活していた・・・両親の家も、学校も、勤務地も、一人暮らしをしたマンションも、すべて山手線でぐるっと囲まれた圏内にある、そんな生活だ。
5年前、スモッグの霧を抜け出して渡米し、初めてカリフォルニアの小さな港町に住みはじめたとき、私は生まれて初めて本当の深呼吸をしたような気がした。
ただ歩いているだけで気分がいい。海の風に吹かれて、素足にサンダルで、彼氏シャツに洗い髪でお散歩しているだけで、たとえようもなく幸せな気分になってくる。
人は本来、ただ存在しているだけで輝くような幸せを感じているべき生き物だ。
突然そんなことを思った。小さな場所にひしめく大勢の人間とか、そこから生まれる悪意とか、排気ガスとか、食べ物に含まれるケミカル、そういった様々な小さい毒たちが、生まれ持ったはずの幸福感を少しずつ奪っていく、そうして私も29年間の間に疲れ果ててしまっていたような気がする。
たとえばアトピーだ。もともとアトピー体質だった私は、渡米直前の数年間は毎日ステロイド剤が手放せないほど症状が悪化してしまった。
それが、カリフォルニアで生活しはじめて半年ほどでみるみるうちに治っていった。1年が経つ頃には言わなければ誰にもアトピーだとは気付かれないほど、炎症のあとも掻き傷のあともきれいに消えた。
あるとき、元婚約者が私のアパートに泊まった翌朝、素肌にサマードレスだけを身に付けてキッチンに立っていたら、後ろから私を抱いて首筋にキスした元婚約者が言った・・・「カナの背中の肌はきれいだね。世界中で一番きれいですべすべしたものだね。こんなきれいな肌、見たことない」
その背中の肌は、渡米する前、正常な肌がほとんど残らないほどアトピーの炎症に覆われていたのだ。
肌を男の人に褒められることがまたあるなんて、その頃は思ってもいなかった。カリフォルニアのアパートのキッチンで、涙がにじみそうになるほど嬉しかったのを覚えている。
気候のいいその街で健康を取り戻して、精神的にもずいぶん回復した。
元気になってから振り返って気が付くことがあった。日本で勤務していた商社での仕事、派遣さんがおとなしいのをいいことに無愛想な対応をしていたな、とか、上司が優しくて理解があるのをいいことに、社会人として恥ずかしいような態度をして反省することがなかったな、とか・・・。
遅刻常習犯だったし、仕事も1日の半分くらいしかしていなかった。普通は正社員じゃなくて派遣さんが担当するような、直接取り引きに関係ない、総務的な業務を割り当てられていた・・・仕事の力を信頼されていないこと、やる気がないことが周囲にはっきり伝わっていたことが今さらのようにわかって恥ずかしくなる。
友達を大事にしていなかったこと、家族に感謝が足りなかったこと。
自分の精神状態に余裕ができて初めてわかる。周囲に不満ばかりで、自分のうまくいかなかった恋愛の不幸ばかりを見ていた私。
渡米して1年くらいした頃、自分が以前とは違う人間になったことに気付いた。気持ちが落ち着いて、元婚約者との安定した恋人関係を得て、学位習得という二年後の大きな目標と、毎日の授業での緊張感と達成感を日々感じるようになって・・・私はとても幸せだった。
もう、日本には帰りたくないとその頃から思うようになった。東京のような都会ではもう二度と暮らしたくなかった。余裕がなくて周囲の人全員を敵のように感じてイライラしながら過ごす日々に戻りたくなかった。
アトピーが再発するのも恐かった。
実際、一時帰国するたびに以前のようにアトピーが出るので、「もう、日本の空気そのものがだめなんだ」と思うようになっていた。
母国なのに自分が受け入れられていないようで、「もともと私は間違った国に生まれたんだわ」と考えたりした。
そうやって5年が過ぎた・・・アメリカ人の元婚約者と婚約して、米国永住権を得る準備を始め、母国と本格的な距離ができる覚悟をし始めた。
しかし、人生何が起こるかわからない。もっとわからないのは私自身の気持ち。あれだけ戻りたくないと思った東京に、私は今、再び住みはじめる日を心待ちにして、指折り数えて待っているのだ。
空気は悪いし、人は冷たいし、アトピーはまたひどくなるかもしれない。
それでも私は東京に帰りたい。友人と恋人と、家族が住む場所でもう一度暮らしたい。
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私にとって重要な出来事は、すべて、夜の10時から翌朝4時までの間に起こる。
そういう日々があった。
8時や9時に寝てしまうなんて、高熱でも出してないかぎりありえなかった。
深夜1時に西麻布のホブソンズ前で待ち合わせね、なんて話はしょっちゅうだった。
クラブを出たあとまた交差点に戻って来て、パスタを食べて、朝4時だねー、と誰かが言って、「早い朝ご飯、私たちってすっごいヘルシー!」なんてどうでもいい冗談に火がついたように笑う、徹夜明けハイの日々。
昼間に起こる出来事なんて大した意味はなかった。
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東京に戻ったらまたクラブで遊んだりするとは思わない。東京に戻っても、何も無い日はちゃんと早く寝て早く起きようと思う。
でも今度は、家族や友人と過ごす時間をとても大事にしたい。
同じ東京で暮らすけど、商社OLではなくて、今度は専門職のフリーランスとして働くのだ。新しい東京生活は、きっと昼間の時間にもたくさん意味があるはず。
そうして、素敵で特別な夜がときどきあればいいなと思う。
恋愛と、それに続く結婚や家族を持つ日々も、全部まるごとパッケージで、新しい東京の日々に待っていればいいなと思う。
朝から暖かい春の日差しが窓の外に溢れる、こんな日は誰でもそうであるように、私は将来に一点の曇りもなく期待だけを抱く、楽観主義者にならずにいられない。
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