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恋愛体質の女は結婚できない?
26歳と33歳で二度の婚約破棄に至る理由は、結婚よりも恋愛をえらぶ女だから。アメリカ在住の私は34歳。24歳の今彼との恋愛を中心にアメリカ人の元婚約者に元彼を加えた三人の男性との恋愛事情
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元婚約者と別れた理由について語ろう

2016年8月11日木曜日 元婚約者 婚約者 別れ

マンハッタンの夜景が眼下に見えてくると、いつも、その世界中の他のどの都市とも違うダイナミックな輝きに思わず目を奪われてしまう。オレンジ色の無数の灯りが呼吸するように瞬いて、マンハッタン島はまるで一つの大きな生き物のようだ。

元婚約者とは、通算でどれくらいの時間を過ごしたんだろう。

元婚約者との3年の遠距離恋愛の間、一番長く過ごしたのは1か月。彼のアパートで一緒に暮らした、短いけど楽しい生活だった。そのあとは毎月のように週末を過ごしに来た・・・、大陸を横断して、国内便を乗り継いで・・・私は何度、ラガーディア空港の上からこの夜景を眺めただろうか。

でも、これが最後になるのだ。

ニューヨークを訪れることはこれからの人生にも何度かあるかもしれないけど、国内便専用のこの小さな空港、ラガーディアに到着して、タクシーで元婚約者の住むビレッジのアパートの番地に向かうのは、これが本当に最後なのだ。

昨日まではまだ、後戻りすることができた。でも、今日の私にはもう、選択肢が残されていない。

すっかり見慣れた、マンハッタンに続くハイウェイの光景。灰色の古いビル群が、すごい勢いで目の前を流れていく。ニューヨークのタクシーはなぜこんなに運転が荒いのだろう。これは私が普段、のんびりした西海岸でハンドルを握っているからそう感じるのかな。

本当にここは世界でたったひとつの特別な場所。カリフォルニアとは別の国だ。私と元婚約者は、何年もこうして別の場所でそれぞれの人生を過ごして、幾度となく一緒に暮らすことを話し合いながら、結局別れ、別々の人生を選ぶという結末を選んでしまった・・・、いや、気付いたときにはとっくに、別々の人生の中にいた。

昨夜の電話での会話を思い出す。

今日のフライトの時刻を最終確認する電話が午後8時ごろにあった。切り際に元婚約者が、これから大事なプロジェクトの発表をするのだと言った。元婚約者の声からも、周囲のざわめきからも、重要な決定が行われる直前の興奮が伝わってきた。結果がわかったら知らせるね。美樹がまだ寝ていない時刻にわかったらね。元婚約者はそう言って電話を切った。

そのまま電話はなかった・・・深夜過ぎに目が覚めて、ああ、私が寝てしまったと思ってかけなかったんだな、と時計のデジタル表示を見ながら考えた。私は仕事でいつも朝早いので、元婚約者は必ず10時より早い時間に電話をかけてくる。

それからしばらく眠れなくなった。

明日、そこに行く。今度こそ、行かなければだめだ、と決意していたのに、深夜すぎに目が覚めて改めて考えてみると、たまらなく気が重かった。ヨーロッパから戻った元婚約者が、「今後のことをきちんと話し合うために」と楽しみにしている、久しぶりの、実に半年ぶりの訪問。元婚約者は私のためにいろいろな計画をしていてくれて、例えば美術館案内とか、プラザホテルでのハイティーだとか、それに今まで特別な機会でしか行ったことのなかったレストランでのディナーも予約してくれていた。

元婚約者にとっては久しぶりの楽しみな私の訪問なのに、私は、この週末の間に、多分、元婚約者と別れようとしている。だったら来なければ良かったのに、と元婚約者は怒るだろうか。きっとうまくいくと思っていた私たちの関係が、実はこれでおしまいだとわかったとき、元婚約者はどんなにショックを受けるだろうか。泣かれるだろうか、あきれられるのだろうか、嫌われてしまうのだろうか。

時刻が1時過ぎになったとき、私は考えるより先にもう一度、携帯の元婚約者の番号を選択していた。自分でも何を言い出すかわからないまま、呼び出し音を聞く。あと1回でも呼び出し音が繰り返されたら、私はあの会話をしなかったのかもしれない、

「美樹。どうしたの」
「明日のニューヨークのことなんだけど」
「何?」
「I...I'm wondering if you really want me to come over. Because...」

今から口にすることを聞いたら、あなたは明日、私にニューヨークに来てほしいとは思わないかもしれない。そう私は切り出した。

でも、切り出したまま続けることができない。なんて言えば良いのか。別れようと思う。別れたい。その決定的な一言のなんという重さ。長い長い時間を一緒に過ごした人、一度は一生をともにしようと約束した人・・・・元婚約者との関係を終わらせるのが、こんな短いたったの一言だなんて。

「私、元婚約者に言わなきゃいけないことがあるんだけど。それは、Good newsではないから」

Bad news、悪い知らせ、と言うことすらできなくて、私は「良い知らせではないから」という言い方しかできないのだった。そして目を閉じて、最後のひとことを言おうとした。でも、元婚約者の言葉がそれより一瞬早かった。

「わかってるよ」

混乱して私は一瞬黙る。わかってるよ。何を?

「わかってる?何が?」
「美樹は、僕とBreak upしたいでしょ。知っていたよ、ずっと前から」

Break up、別れる、という言葉を、私ではなくて元婚約者が口にした。「明日、スシが食べたいでしょ」と言うかのように、元婚約者は何でもないことのように言ったのだ。美樹、僕と別れたいんだよね。激しい感情の一切含まれない言い方だった。

I knew this was coming, for long, long time, Miki. いつかそう言われるだろうって、ずっと、ずっと思ってたんだよ、と元婚約者は続ける。一番最初に、結婚を止めようと話し合ったときから。美樹は全然違う人のようになった。もう戻ってこないだろうと、僕はずっと覚悟していた。

元婚約者が淡々とそう説明し、私が言葉を失っていたとき、電話ごしに、遠くから元婚約者に話しかける人の声が聞こえた。Hey, congratulations!! 深夜1時過ぎ、元婚約者に、おめでとう!と叫ぶ人がいる・・・元婚約者はプロジェクト発表後のパーティ会場にいるのだ。音楽がかすかに聞こえる。グラスの合わさる音、カートに何かのせて運ばれる音、人の声、人の声、人の声。まさに、ニューヨークの音だった。

遠く大地を隔てた、小さな海辺の街の静かな夜、私は携帯電話を握りなおす。


「プロジェクト、成功だったのね、おめでとう、元婚約者。」
「うん、まだわからないけど、すごく評判がいい。ありがとう」

元婚約者の声には率直な喜びがにじみ出ている。私とのことがこうして破綻に終わったけど、それとは別に、キャリアの成功はやはり嬉しくてしかたがないようだ。そして私も、今こうして別れが決定的になりつつあって寂しさがこみあげてきても、同時に元婚約者の成功が嬉しく、誇らしい、という、全然違う種類の感情がある。

出会ったころはまだスタート地点にも立てなかった彼が、今は着実にキャリアを積みはじめている・・・幾度も自信を失いかけては落ち込んでいたっけ。私はいつも彼を元気づけて、精神的に支える役目だったのに、こうしてやっと成功をつかみかけたときに、私たちは離ればなれになってしまう。そのことを悔しいとか間違っているとは思わない。むしろ別れることがこの上なく自然なことに思え、そしてそんな風に思えてしまうこと自体がとても寂しいのだ。

祝福の言葉はそのあとにも何度か聞こえた。元婚約者はそのうちの一人と打ち合わせを始めなければならなかった。元婚約者は急いで、でも決していい加減にではなく、私にそう説明し、「もちろん、NYには来てほしいよ。僕達はこんなに長く一緒にいた。最後にちゃんと会って話すことは大切だよ」と誠実な口調で言ってくれた。ではまた明日ね、と言い合って電話を切る間際、また元婚約者の名前を呼びかける誰かの楽しそうな声が聞こえた。

それはとても象徴的な、電話の会話の終わりだった・・・私たちの世界は遠く離れていて、元婚約者の人生はもう新しく始まっていて、まるで、元婚約者の新しい人生にいる人々が、元婚約者を私から連れ去ろうとしているかのようだった。私という存在を気にすることもなく、楽しく興奮した声で、元婚約者、おめでとう、さあ行こう、と腕や手をとって。


こうして、最後のお別れをするということを最初からわかっていて、私は2月のある週末、ニューヨークに出かけた。

私たちは、思い出のたくさんある特別なレストランで待ち合わせをした。(そうだ、元婚約者はこれが最後のデートになるとわかっていたからこそ、このレストランを選んだのだ。)

――この数年間、ニューヨークに行くときには必ず髪を切るようにしていた。

SOHOにお気に入りのサロンがあって、日本人の美容師さんが切ってくれるのだ。私の住む地域にはアジア人の髪を切れる美容師さんがいないので、1か月か2か月に一度の元婚約者Y滞在は、髪を切る貴重なチャンスだった。

でも今回は、元婚約者と最後に過ごす週末。一人で髪を切りにいく予定なんていれるべきじゃないのかな、と少し迷った。

その一方で、私には2週間後に彼氏と会う予定がある・・・それまでに一度髪を切り直しておきたい。

そんな風に、元婚約者とはこれで最後だ、という寂しさが常にあるのにもかかわらず、私はやはり彼氏をかたときも忘れることはできない。別れるとなると相手のいいところばかり見えてきてしまったり、楽しい思い出ばかり浮かんでしまうのは人間の自然な心理だけど、それでもやっぱり、その分彼氏のことがどうでもよく思えてくる、というわけではないのだ。元婚約者といても彼氏のことを考えてしまう、この事実こそ、どんなに寂しくても元婚約者とはもう本当に別れなければならない理由だ。そう自分に言い聞かせる。

ヘアサロンを予約したよ、と言うと、元婚約者は、MOMAで過ごす時間が少なくなるなあ、と少し残念そうにしたけど、それ以上のことは何も言わない。最後のNYだし、美樹がやりたいことをやればいいよ、とさえ言ってくれる。

元婚約者はいつもそうだった。お互いのやりたいことを優先することが大事。美樹のキャリアが大事、元婚約者の夢が大事。仕事を理由に何か月も元婚約者Yを訪ねられないことがあっても、決して感情的になることなく理解してくれた。

私は元婚約者のそういうところが好きだった。そして、元婚約者のそういうところが、いつのまにか寂しくてたまらなくなってしまった。

お互いの仕事が大事だという理屈で無理に会おうとしないのは、本当には愛していないからだと言って不満を口にしたこともあった。いつもいつも愛情をたっぷり表現してくれる彼氏を引き合いにだして、元婚約者のような人と一生過ごすのはきっと寂しい、と結論したこともあった。

でも、元婚約者には決して愛情がなかったわけじゃない。本当はそんなことはよくわかっていたのだ。私は、自分の心変わりを元婚約者の問題に摺り替えて元婚約者を責めているのだ。ああ、でも、わかっていても私は寂しかった。愛情を、「仕事をやめて、NYにおいで」という、強引で理不尽な言葉で示してほしかった。

I'm not that kind of person、僕はそういう種類の人間じゃない、と元婚約者はよく言っていた。そういう恋人が欲しいなら、他の男を探した方がいいよ、と。その言葉はどんなに冷たく私の胸を刺したか。去年の春先、霧雨の日に元婚約者と一度別れた、あの日の少し前に元婚約者の口から聞いた言葉だった。

私を傷つけるために言った言葉ではないのだ。そんなこと、よくわかっていたのに。いつか元婚約者のこの冷静さと、私のキャリアや夢を尊重してくれた態度を、とても恋しく思う日が来るだろうと私は思う。何が何でも一緒にいたい、と言う彼氏を煩わしく思ってしまう日も来るはずだ。人は失ったものをいつでも恋しく振り返る。そのことを覚悟しながらも、私はやっぱり元婚約者と今日別れなければならない。


MOMAからヘアサロンに向かう途中、私と元婚約者はどうでもいいようなことが原因でちょっとしたケンカをした。

仲直りできないままサロンの入り口に着き、私は「一時間くらいかかるから。じゃあね」と彼を見もせずに言い捨てて、ドアを開き、中に入っていった。元婚約者の大げさなため息が、ドアを閉める直前に聞こえた。

ああもう、嫌な感じのため息、とさらに苛立ちがつのる。

こういう小さなケンカを、私たちは数えきれないほど繰り返してきた。そういえば、1か月一緒に暮らしたときは初めての同居生活で衝突が絶えず、SOHOの路上で怒鳴りあいになったこともあったっけ。いや、怒鳴りあいじゃなくて、私が一方的に怒鳴ったのだ。そんな私を初めて見た元婚約者はあっけにとられていた。黙ったまま歩いてアパートまで帰って、数時間お互いに口も聞かずに過ごし、やがて最初に謝ってきたのは元婚約者のほうだった。

そうだ、ケンカするといつも元婚約者は先に謝ってくれた。元婚約者はすぐに機嫌を悪くしたり、罵り言葉を口にしたりするけど、冷静になるのもいつも早い。逆に、怒りを表現しないまま、いつまでも不満を心に溜め続けるのが私だ。この婚約が破綻してしまったのは、そんな風に二人の間のコミュニケーションがあまりに一方的であったことも、ひとつの原因だったのかもしれない。

1時間後、元婚約者が迎えに来てくれたころは私もすっかり気分が良くなっていて、元婚約者も私の髪型を見て「可愛くなったね」と言ってくれる。

二人でまたSOHOの賑やかな通りに向かって歩き出す。「元婚約者、さっきはごめんね」と私は、初めてケンカのあと自分から謝った。元婚約者は僕も、ごめん、と言いながら私の手をとる。二人で手をつないで、大勢の人々で溢れる土曜の夜のSOHOを歩いた。

こんな風に、ケンカと仲直りを繰り返しながら、ずっと、ずっと、一生この人と過ごそうと思っていた。ケンカするときは本当に心の底から憎たらしくなるけど、仲直りしたとたんに、絆がより深くなったような気がして、やっぱりこの人が好き、と思える。誰かとそういう関係になるのって、すごく難しくて貴重なことのような気がする。

短期間のうちに惹かれて、デートして、恋人同士と言える関係を持つことは誰にでもできるのに。毎日、毎朝、この人の顔を見て過ごして、生きていくんだな・・・そんな風に感じられる相手に一生に何度で会えるか。私は元婚約者と別れて、この先そんな相手とまた出会えるのだろうか。

本当は私は、とんでもない間違いを犯しているのではないか・・・そんな気持ちになるのはこういうときだ。彼氏との恋愛は確かに素晴らしいものかもしれない。今この瞬間は、約束されていた結婚を手放してでも、手に入れる価値があるものに思えるかもしれない。けれど、1年後はどうなのか。10年後は?

それから元婚約者はつないだ手を自分のほうに引き寄せ、信号待ちをする間に私にキスしようとする。唇に軽く、挨拶のようなキスなのだけど、私はとっさに体を固くして身を引いてしまう。だめだ、やっぱり、元婚約者に対する家族愛のような愛情と、彼氏との恋愛と、気持ちをはっきり二つにわけることはできても、体はそんな風にわけられないから・・・私は元婚約者に触れることができない、触れられることにも耐えられない。

彼氏に出会わなければ、「耐えられない」とまで感じることはなかったのだろうと思う。何年もつきあって、触れあうことが刺激でも興奮でもなくなるカップルは私たち以外にもたくさんいると思うのだ。その代わりに手に入れる体に馴染んだ毛布のような心地よさのほうが、結婚にはふさわしいと私は考えていた。彼氏に出会うまでは。

彼氏のおかげで、そんな結婚をしなくて済んだと考えるべきなのか・・・あるいは彼氏にさえ出会わなければ、何も疑問を持たず結婚していたのに、彼氏のせいで私は進むべき道から逸れてしまったのだろうか。

結論を出すのは今はまだ早く、それは私がこれから続く未来をどうやって幸せなものにしていくかにかかっているのだとは思う。元婚約者を傷つけたことも、結婚を手放したことも、いつか意味のある別れだったと思えるように、これから幸せにならなければいけない、と、そんなきれいな言葉を口にするのは簡単だ。

でも今の私はこう思わずにいられない。

目が覚めて、何もかも夢だったらいいのに。

目が覚めて、私と元婚約者はまだ婚約直後で、彼氏とのことはとても楽しい結婚前の夢だったと気付いて、にっこり笑って、婚約している現実の中に駆け出して行ければいいのに。

いや、そうではないとまたそんな想像の直後に打ち消す。彼氏は夢ではなく、生身の人間でなければ。私はやはり彼氏をあきらめられない。生身の人間である彼氏を。元婚約者と手をつないだまま、不意に彼氏に会いたくなる。

こんな風に私は、シーソーのように行ったり来たりする感情に疲れ果てて、数カ月を過ごして来た。今日やっとこうして決着が着くことに、寂しさや狼狽がありながらも、同時にほっと安心する気持ちがあることは否定できない。

元婚約者と手をつないだまま彼氏を想う、こんなCrazyなことも本当にこれで最後だ。なんて勝手でひどい話・・・自分自身にあきれる、自分を許せない、そんな日々もこれで最後。

そうだ、本当に夢のような結婚の約束だった、夢のようなプロポーズだった、何もかも、こんなにうまくいくなんてどこかおかしいと思ってしまうほど、完璧な世界に私はいた。

けれどこれがやっぱり答えなのだ。元婚約者が私にキスしようとすると、私は思わずそれを避けようと体を固くする。キスが出来なくなってしまった相手と、結婚して一生ともに過ごせるわけがない。なぜそんな単純なことに今まで気付かなかったのだろうかと思う。

そしてそう思った直後にまた寂しくて涙が込み上げるのだった・・・ニューヨークの幾多の人波が生み出すなんともいえないエネルギッシュなパワー、そのまっただ中で私はどうしようもなく心細い思いにかられる。

大きな海をただよいながら、しがみついていた船を手放して、何もない水平線に向かって流されていくような気持ち。本当にいいの?本当にいいの?そう自問する間にも、私は波にさらわれて、船は見る見るうちに小さくなってしまうのだ。 



――日曜日。帰りは、早めのフライトを予約してあった。

土曜日の夜にゆっくりと二人で過ごして、話したいことは全部話して、翌朝はただ帰るだけにしておきたかったのだ。

元婚約者のアパートの前でタクシーを止める。いつものように。ニューヨークでタクシーを止めるのは、時間帯によってちょっと難しかったりする。日曜日の夕方の便で帰るときなどはちょうどシフトの切り替え時間にあたってしまって30分かけてもつかまらず、結局バスに乗るために地下鉄の駅まで全速力で走ったこともある。

また別のとき、大きい通りに出てタクシーを拾おうとして、上流の方へとどんどん歩いて行ったことがあった。私は大抵小さなスーツケースを片手に持ち、もう片方の手にバッグを持っている。両手が開かないのに、重い荷物を持っているのに、元婚約者は早足で先に歩いていってしまい、私は追い付くのが大変。元婚約者の両手は空いているのに。元婚約者はアメリカ人と聞いて日本の女の子が思い浮かべるイメージと違い、私の荷物を持ってくれることなど滅多になかった。

この日も、アパートの階段をスーツケースを持って降りるとき、元婚約者は両手が開いたまま私の後ろに続くだけだった。前を向いたまま苦笑してしまう。最後までこうなんだな・・・、優しいとか優しくないとかの問題じゃなくて、元婚約者はいつも合理的、理性的なのだ。

スーツケースは本当に小さいし、私一人でじゅうぶん運べる。女性の荷物を持ってあげる、というジェスチャー的なことよりも、元婚約者は私を無事空港に送り届けるために一刻も早くタクシーをつかまえることを優先する。そのことのほうが、私にとって重要だと思うからだ。

別に愛情が足りなかったわけじゃない。別れる今になって私も理性的にそう考えることができる。結婚して一生パートナーとして過ごす相手には、優しくてロマンチックだけどいざというときに役立たない男よりも、元婚約者のような合理的で重要なことはきちんとやってくれる人のほうがいいのかもしれない。

でも、本当にそうだろうか?という疑問もまた浮かぶ。

人間の生活にはどうしても必要なものがある、たとえばお金が全然なかったら暮らしは成り立たない、きちんと仕事をして、食べ物を確保しなければならない、社会性も大切、約束はきちんと守ってくれる人でなければ・・・、食事でいえば「主食とおかず」の部分というか、健康を維持するために必須の部分。人はデザートだけでは生きていけない。

元婚約者はとっても健康的で必要なものがそろった、デザート抜きの食事のような人なのかな。一方で彼氏は私にとって、かなりデザートの配分が多い食事だ。毎日、毎日彼氏のメニューが続けば、きっと近いうちに体を壊してしまう。けれど元婚約者のメニューが一生続くということにもやはり、私はいつか耐えきれなくなってしまうはずだ。

私にはデザートが必要。今、この瞬間はとくに。デザートばかり食べて体を壊す?ええ、そうでしょうとも。でもね、彼氏を毎日食べて体を壊すなら本望だよ。体を壊すまで食べ続けて見せる。

いろいろな人がいて、それぞれの選択肢があるのだろうけど、私は、恋がなかったら生きていけない。恋より大切なものなんてない。

最後の日の夜、元婚約者はなかなか眠ろうとせず、ベッドに並んで寝そべったままいつまでも私との会話を続けようとした。

最後のお別れの会話。このニューヨーク滞在で、一番大切な時間のはずだった。

その大切な瞬間に私は、疲れと寝不足のためにどうしようもなく睡魔におそわれ、何度も意識が遠のいてしまうのだった。

元婚約者が何かを言い、私が答える。I love you、と切なそうに元婚約者が言う。いつまでも私を愛していると。恋人同士でいられないなら、Lifetime friend、一生続く親友でいよう、と。なんていう感動的な言葉だろう。私にはそんな言葉を贈られるような資格はないのに・・・元婚約者の声を遠のく意識のどこかで聞きながら、私はまた一瞬眠りに落ちてしまう。それから慌ててまた目を開けて元婚約者を見る。

元婚約者は、大きく目を見開いて天井を見ている。少し思い詰めたような表情。言いたいことが山ほどあるのに伝えられない、もどかしげな表情だ。彼の目には眠気などひとかけらも浮かんでいない。別れを切り出すほうと、切り出されるほうのテンションの違いをこれほどはっきり感じたことはなかった。

私は似たような経験が過去にあったことを思い出す。

そっくりな状況で、でも、そのときは私が元婚約者の立場にいた・・・伝えたい気持ちが溢れるほどなのに、相手の男はすやすやと寝息を立てていて、隣にいる私の存在さえ忘れているかのようだった・・・どうして、そんな風に眠ってしまうことができるの!!そう叫んで男をベッドから突き落としたいほど、悔しくて、悲しくて、傷ついていた。

あれは元彼に会いにロンドンに行ったときだ。1度目の婚約を解消した直後、元彼の態度は微妙に変化した。私はそのわずかに増した冷たさと急速に離れて行く元彼との距離を敏感に察して動揺した。熟睡する元彼のとなりで、私は元彼に手紙を書いた・・・、ペンがなくてアイライナーか何かを使ったような気がする。明け方元彼が目覚める前にホテルの部屋を出た・・・それ以上傷つくことを避けるために、それくらいしか私にできることはなかった。事実上、あれが元彼との最後の夜だった・・・。

うとうとしながら、元婚約者の隣でそんなことを思い出していた。どうして眠りこんだりできるのかと、元婚約者も私の気持ちの離れようを改めて実感していたのだろうか。

翌朝になると元婚約者はもう何も言わなかった。私を責めるようなことも一切言わず、悲しい表情も見せず、私が元婚約者Yを離れる朝はいつもそうしてくれたように、おいしいオムレツの朝食を作ってくれた。

元婚約者のオムレツが特別おいしいのは、すごくいいチーズを使うからだ。チーズそのものをおいしいワインと一緒にいただいても充分なごちそう、というくらいの、素晴らしいチーズを複数組み合わせてオムレツにいれる。ハーブやスパイスも効いていて、キャラメル色になるまで炒めた玉ねぎとチーズがからんで、本当においしい。

元婚約者のお父さんもよくオムレツを作っていた・・・元婚約者の両親の家に泊まると、朝はいつも元婚約者のお父さんが朝食を用意してくれて、お母さんがゆっくりと時間をかけて身繕いをして出てくると、テーブルには冷たいオレンジジュース、煎れたてのコーヒー、そして特別においしいオムレツが待っているのだ・・・、元婚約者と結婚すれば、あんな夫婦になれる気がする、そう思っていつも憧れていたのにな。

最後の元婚約者のオムレツを食べて、コーヒーを飲んで、まるで最後ではないようなごく普通の会話をして朝食を終えた。慌ただしく荷造りをする私の気持ちはもう、自宅に戻ったらすぐ彼氏に電話しなければ、日本は何時だろう、なんていう考えに飛んでいる。

タクシーに乗り込む間際、元婚約者が私に短いお別れのキスをした。着いたら電話するね。それが私の最後の言葉だった。それから運転手に空港の名前を言う。元婚約者がドアを閉めてくれて、振り向いたときはもう、元婚約者の姿は見えなかった。

そのとき運転手がからかうような口調で言った・・・You don't wanna leave him, right? 彼氏と別れるのがさみしんでしょ?

ごく普通の恋人同士の、つかのまの別れだと思って、運転手はそう聞いているのだった。

けれど私にとってそれは、ここ数カ月の間、何度も、何度も自分自身の心に問いただしていた究極の質問なのだ。

You don't wanna leave him, right? 別れたくないんでしょう?彼から離れたくないんでしょう?

私は運転手の冗談に、最初は笑いながらOh, no...I just...と、曖昧な答えを返した。それから車が動きだしたときに、ふと考え直して言いなおした。

I'm fine. そんなことないの。私は大丈夫。

けれどニューヨークの喧噪と古いタクシーのエンジン音にまぎれて聞こえないのか、運転手はそれきり私に言葉をかけなかったのだった。 
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