元彼に重なる彼氏との10年ぶりの恋愛
さすが恋愛の修羅場を数々踏んできた私? 日本にいる友人たちとの会話。「彼のこと、好きで好きでたまらないけど、同時に、こういう情熱がいつかは鎮まっていくことも経験で知っているから」
「さすが、数々の恋愛の修羅場を超えてきた美樹ちゃん。わかってるじゃん。てことはもう答えは見えているよなもんだね」
「でもね、その一方で私、24のときから好きだった元彼のことやっぱり忘れられないよ。あれからもう10年だよ。まだ元彼は私の夢に出てくるの。夢で元彼に会うと、私はまるで昨日も元彼に会っていたように、当然のように二人で楽しく過ごしていたりするの。まだ頭の奥のほうで、元彼とのことが終わったってわかっていないのね」
「・・・・そうだったの、知らなかった」
・・・・
そうだ、どんなに長い長い恋愛の悩み話も辛抱強くきいてくれる親友さえ、もう私の元彼の話は聞きたくない!って叫ぶほど、私の頭はいつも元彼でいっぱいで、元彼のことばかり話していた。それで話すのをやめてからあとも、本当は私はいつも元彼のことを考えていた。留学生活の間も。元婚約者に出会ってからも。もう恋愛パワーは元彼で使い果たしたから、恋はしないの、だから一緒にいて落ち着いていられる、元婚約者を選ぶことに迷いはないの、そんなふうに婚約直後は言っていた。
元彼のことを、どうやって説明したらいいのかわからない。私は24歳だった。24歳は特別の年齢だ。人は24歳の恋愛を忘れない。生物としての人間と、現代社会の仕組みを合わせて考えてみても、24、25歳というのは男女とも、人生において決定的な出会いをする時期なんだと思う。24歳に大恋愛をしてしまうと、そしてそれが不幸な結末を迎えたりすると、そのあと人はしばらくの間、恋愛の世界の道に迷ってしまってなかなかもとに戻れなくなってしまうのかもしれない・・・私のように?
元彼のどこがそんなに良かったのか?と何人もの人に聞かれた。その度に違う答えを口にしても、まだまだ答えきれない。全部。体。声。きれいな形に見開かれた大きな目、茶色がかった瞳、きれいなあごの線、耳に少しかかるやわらかい髪。元彼の全身が好きだった。たとえ切り刻んでもその破片のひとつひとつまで好きだと思う。胸の厚み、肩のあたりにただよう香水と元彼の肌の匂い、腕、指、ピアスの穴の残る耳たぶ、シーツの上でからめる足の重い感覚、・・・・全身を触れあわせるだけで他にはなにもいらないくらい幸せになってしまう・・・・男の人でセクシーと呼ぶのはこういう人のことなんだと、元彼と抱き合う度に思った。
ホテルの広いバスルームで一緒に体を洗ったことがあった。濡れた指で髪をかきあげて、元彼の前髪が後ろに流れると、きれいな目の形が際立つ。上半身を裸にして鏡の前に立つ元彼。暗い照明が肩や胸、腰の形を浮かび上がらせて、まだ肌は少し濡れていて、鏡の中で目があうと彼の茶色がかった瞳が私に笑いかけた。なんて美しい男なの。勝手に心の中でそんな言葉が生まれた。
元彼の一番セクシーなところはその仕草だった。何かが際立って他の人と違う。「日本人離れした」という形容がぴったり。歩き方も、ナイフとフォークの持ち方も、私をじっとまっすぐ見つめる視線も、すべて、それまでの人生の半分以上は海外で過ごしたアメリカ生まれの男の子だった。彼の英語を聞きたくてボイスメールに電話したものだった。泣きながら何度も。自分を狂っていると思いながら。
出会ってすぐ私は丸ごと奪われるように元彼に惹かれてしまった。もしあれが24歳のときでなかったら、何かが違っていたのだろうか。今もう一度元彼にあったら、また恋してしまうだろうか。元彼は・・・
元彼は、今でも私のことを覚えているだろうか。思い出すことが一瞬でもあるだろうか。でも思い出すとしたらそれは、過去の〝女〟の一人としてだ。彼にとって私のことは恋愛の思い出の一つでさえない。そんな立場に数年も甘んじていた私を誰でも馬鹿だと思うだろう、私自身でさえそう思う。それでも離れられなかった。なんど離れようとしたかわからない。でも離れられなかったのだ。恋愛って本当に何なんだろう?この執着、この痛み、この理不尽さ。
元彼に出会ってからの数年間、私の生活は、元彼からの連絡を待つことだけで埋められた。そして精神的にひたすら消耗していった。元彼は3回くらい彼女を変えただろうか。私はどんなときも同じ位置にいた。連絡を待つ。今日、会える?と聞かれて数時間一緒に過ごす。それからまた連絡を待つ。時間が立つにつれて不安に押しつぶされて、泣いて、泣いて、限界だと思うころまた次の連絡がある。そうやって25歳や26歳という人生で一番輝くような月日を過ごしてしまった。上の空のような気分のまま、私は何人かの男の子とつきあって、別れて、それからある人と婚約して、それを解消した。エリート中のエリート、モデルのような外見、スポーツ万能でデートの間中ジョークで私を笑わせ続けるような人。私と二人で話している様子を遠くから眺めていた彼の友達の彼女が、「映画を見てるみたいだった」なんてウットリと話すような、どこからみても申し分ない、周囲が祝福してやまない二人の婚約だった。でも私は元彼への気持ちを抱えたまま結婚なんてできなかった。元彼とのことはどうにもならない。わかっていても、ただ元彼ではない人と一生を過ごすという考え自体が、もう堪え難かったのだ。
婚約したとき、元彼は別人のようになって私を追った。なんてありがちな行動。そんな状態は婚約を解消してしばらくの間続いた。そして当然ながらしばらくするとすっかりもとに戻った・・・連絡を待つ日々、消耗していく日々。一人、会社の帰り、オフィス街を歩きながら止めどもなく涙が流れ、私は叫びだしそうだった。終わりはどこにあるの。終わりはどこにあるの。あと1年?1か月?それとももう、通り過ぎていて私だけが気付いていないの?元彼とはもう終わりなの?もう会えないの?会えないならそう告げてほしい、ただ待ち続けるだけの日々は私にはもう耐えられない!その頃はもう毎日泣きすぎて頭がおかしくなりそうだった。
事実上の終わりは思ったより早くやってきた。それから1年足らずの間に、元彼はアメリカの会社に転職して日本を離れた。最後の日、彼は私に名刺とメールアドレスを渡して、ウィンクをして去っていった。自分の意志の弱さを知っている私は、その足でコピー室に行き、名刺をシュレッダーにかけた・・・連絡を断ったのは彼じゃなくて私だ。そう思いたかったのかもしれない。
それから私は英語を勉強して、論文を書いて、会社を辞めて、アメリカに留学した。元彼に会えると思ったわけではもちろんない。ただ少しでも元彼の近くにはいたかった。例え一生会えないとしても、いつも日本を外側から見ていた彼の視点に、私も立ってみたかった。日本の女の子は自立していない、と批判する彼に、海外で生きている私を見せたら、今度こそ私を人格のある女性として扱ってくれるのではないかと・・・本当はいつもどこかでありえない可能性に期待していたのかもしれない。
誠実という意味で、元彼の対極にいるような元婚約者といるのはとても楽だった。めまいがしそうな幸福感もないかわりに、心臓が焼かれるような嫉妬の痛みも不安もなかった。こういう風にして一生を過ごしていこうと婚約したときには心を決めたのだ。
ただ、結婚するまえにもう一度、元彼に会いたいなあ、と思うことがときどきあった。会いたいというより見たい、目にするだけでいい。夢にでてきてくれるだけでも嬉しかった。
それから彼氏が現れた。まだまったくの他人だった頃、その日仕事で訪れたオフィスで彼氏にばったり会って、私が何か仕事内容について質問をしたことがあった。彼氏は私の話の内容でよくわからない点があって、「ん?」というように目でたずねた。その瞬間だった。私は自分でも理解できないままに大きな衝撃を受けて、少し遅れて気が付いた・・・彼氏はそういう表情をするとき、信じられないくらい元彼に雰囲気が似ていた。
神様が、私の願いを聞き届けてくれたのかと、思ったほどだった。
元彼に似ているから彼氏を好きになったというわけではない。ちょっとした表情とか、ある角度から見たときに驚くほど似ているだけで、いつもいつも元彼を彼に重ねて見ているのではないのだ。それにその似ている表情以外は、彼氏こそ元彼の対極にいる人で、その行動も性格もすべて元彼と違っていたから、普段は重ねようにも重ねようがない。
ただその似ている角度というのが、ちょうど私が彼氏の肩に頭を休めるときや、彼氏が軽く目を閉じて横を向いて寝ているとき、私から見上げる角度なので・・・思わず、元彼、と心の中で話しかけて、ねえ、どうして私じゃだめだったのよ、なんて問いかけて、それから彼氏が目を開けて私に笑いかけると・・・たくさんの時間と物事の中で薄れていた10年前の元彼への気持ちが少しも色あせないままよみがえってきて、私はあっけにとられるのだ。
そうだった、私はもう10年も恋をしていなかった・・・
彼氏を好きでたまらなくなってからだった。誰に証明するでもなく毎日自分を駆り立ててひたすら「頑張る」日々を、もう終わらせていいのだと気が付いたのは。
いつもどこかに残っていた元彼への気持ちだったのだろうか、私を駆り立てていたのは。そういえば、元彼と再会したときの会話を何度も想像で作り直す癖が私にはあった。起こり得ないと知っていて想像をやめることができなかった・・・
彼氏に出会ったから私は、元彼に対して何かを証明する必要がなくなった、そういうことなのだろうか?
「だからこれが私の10年ぶりの恋愛なの。」
「そう、そこまで言うならとめないけどね。もう少し冷静になってからもう一度考えてごらんよ。」
友人が私の熱い語りぶりから少し距離をあけるように、落ち着いた声で笑う。今は何を言っても無駄みたいね。ふふふ。まるで信じていない口ぶりで。
そうだね、私自身、もう自分の選択に自信がない、どうなっていくのかわからない。だからもう少し冷静になってから、考えてみたいと思う。毎日考えている。
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