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恋愛体質の女は結婚できない?
26歳と33歳で二度の婚約破棄に至る理由は、結婚よりも恋愛をえらぶ女だから。アメリカ在住の私は34歳。24歳の今彼との恋愛を中心にアメリカ人の元婚約者に元彼を加えた三人の男性との恋愛事情
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婚約と別れと結婚と鬱

2016年7月20日水曜日 うつ病 結婚 元婚約者 婚約

別れるか?
結婚するか?
ふとしたときに何の脈絡もなく、元婚約者と過ごした日々のひとこまが頭に浮かぶことがある。

私のお誕生日に彼のアパートに行ったら、キッチンにピンクの薔薇の花が一輪、まだ紙につつまれて置いてあったこと。そのきれいな花弁の形、摘みたての新鮮なピンク色。それだけがまるで壁にかかった絵のようにきりとられて、突然頭の中に浮かぶ。幸せだった瞬間の象徴として。

Here in a flower for you! ひとりごとのように元婚約者が言いながらそれを花瓶にうつす手もと。それから彼は、子供を「高い高い」するように、私を抱き上げてぐるぐる回りはじめた。そうしながらずっと「Happy birthday 彼氏o you...」と歌ってくれた。私は突然のことで恥ずかしくて、Pu彼氏 me down!! Please!!とか叫び続けていて、でも同時に幸せでおかしくて笑い転げていた。最後の一節を歌い終わると同時に元婚約者は私を腕に抱きとめて、もう一度日本語でオメデトウ、と言いながらキスしてくれた。

それが約1年前のこと。

私たちはまだ結婚するかどうかも、近い将来一緒に住める日が来るのかどうかさえわからなくて、でもそのことに限界に近いほど不満を持っているのは私の側だけだった。

元婚約者はまだ卒業前。花束のかわりにピンクの薔薇を一本が精いっぱいの元婚約者と、アメリカで働きだして2年がすぎた私の間には、人生のステージという意味で大きなギャップがあった。

私は季節性の鬱病にかかった。太陽が見えなくなる季節、アメリカに来てから留学時代は卒業することだけで精いっぱいで、就職してからは仕事になれるので精いっぱいだった私に、初めて余分なことを考える時間ができて、気が付くと、その地で多くの人がかかることで有名なそのタイプの鬱病に、深くはまりこんでいた。

鬱病のやっかいなところは、かなりおかしな状況になるまで、本人は周囲に問題があって落ち込んでいるのだと思い込んでしまうことだ。アメリカの医学の考え方では、鬱は純粋に脳内のホルモン分泌の問題とされるらしい。状況にかかわらず、このホルモン分泌がうまくいけば、人は幸せに感じるし、たとえ世の中のすべての人がうらやむような幸せな環境にいても、ホルモン分泌がおかしくなれば、人は不幸のどん底を生きるようになる。

私も自覚するまで、落ち込むのは元婚約者のせいだと思い込んでいた。結婚を決めない元婚約者を冷たいと思った。32歳という私の年齢を考えてくれないのは自分勝手だと思っていた(元婚約者は私より6歳年下)。

電話口で泣き続けたこともあった。真夜中に目が覚めて、さみしくて元婚約者に電話して、不機嫌な対応をされたり、子供が持てないかもしれないという不安を訴えてはっきりと「僕には関係のない話だ」と言われたり・・・そんな対応に私は余計傷付き、悪循環にはまった。つきあっていて1度としてそんな態度をとったことはなかったのに(私は法則ガールだから!)、毎日電話して泣いたりわけのわからない長いメールをいくつも送ったり、突然自分を止められなくなった。

やがて私は医師に話して抗鬱剤を処方され、季節が春や初夏に向かうにつれて症状は回復した。

ただ、鬱になってコントロールを失っていたあいだに、私は元婚約者に対して大きな不信感を持つようになっていた。電話の向こうで泣いている私に、なぜ、「僕にできることは何もないよ」「なんて言っていいかわからないな」といった冷たい言葉しか返せないのか?彼の冷静さ、感情に流されない頭の良さが好きだった。でも、誰でも平常心を失うことはある。そんなときに突き放されるのではなくて、手を差し伸べてくれるのでなかったら、それは本当に恋人、パートナーと言えるのだろうか?当時は彼の対応を冷たい、ひどい、と非難することしか頭に浮かばず、これをきっかけに別れるべきだろうか?と考えだしていた。

元婚約者にはっきりと別れを告げたのは、3月、まだ冬と春をいったりきたりする季節、冷たい小雨が降り続けた日だった。窓際のコンピュータの前に座り、一通り英語のメールを書いてから、送信前に少し迷い、窓の外をしばらく見ていたのを覚えている。灰色の空から無数の雨粒が降りてきて、音もなく中庭の木々に吸い込まれていた。とても静かだった。春なんて永遠に来ないのではないかと、そのときなんとなく思った。それから送信ボタンを押した。

元婚約者からの反応はその数時間後にあった。電話がかかってきて、留守電にメッセージが吹き込まれるのを、私は少し離れたキッチンの隅で聞いていた。「It is fine...」と彼が言っているのが聞こえた。「Fine」。なんて冷たい英語。ファイン、けっこうです。かまいません。いいでしょう。

発作的に、冷蔵庫から彼の写真を剥がし、写真たてから彼の写真を抜き取り、目に映る彼の写真すべてをひとつの袋にいれて、そのまま鍵をつかんで外に出た。

アパートのトラッシュ・コンパクターに向かって、そのままの勢いで写真を捨てようと早足で歩いた。いや、でも捨てないかもしれない、と自分の気持ちを少し眺めた・・・たぶん気が変わって途中で足をとめて、もう一度写真を見なおして、泣くかもしれない、けれど部屋に戻るだろう・・・雨が髪を濡らし、頬を濡らして、とても寒かった。

そのときアパートのメンテナンス係の人が通りかかって、雨の中ゴミを運んでいるらしい私を見て、親切に「持っていってあげるよ」と声をかけてくれた。

いえ、これは・・・、と躊躇する私に、遠慮していると思ったのか、「いいよいいよ、今行くところだったから」と彼は私の手から袋をとりあげた。

ゴミじゃないと説明しても良かったのかもしれない。でも私は素直に袋を彼に手渡した。彼が他の大量のゴミと一緒にそれをカートにいれて、コンパクターに向かう後ろ姿を私は目で追っていた。元婚約者との3年間の思い出を、あちこち切り取ったたくさんの写真。カリフォルニアのビーチで。二人が通った大学院のキャンパスで。友達をたずねたサンディエゴで。たくさんケンカしながら運転した長い長いLAと元彼Fの間のドライブ。ジャパンタウン。NYの彼のアパート。それから日本で、私の着物姿と彼、神社の初もうで。空港。たくさんの空港の写真。お互いの街の空港が、いつも再会とお別れのハグをする場所だった。

私はコンパクターに飲み込まれる私の思い出を遠くから見ていた。それからやっときびすを返してアパートの部屋に向かった。メンテナンス係の人は、せっかくゴミを代わりに捨てたのに、それをずっと後ろで見ている私をおかしなアジア人だと思っただろうか。

泣いたのは、あらためて電話口で元婚約者と話したときだった。冷静だった元婚約者が突然、破綻して、ああ、と悲鳴のような声をあげた。別れの実感を初めて持った彼が、「美樹がいないと、僕は、僕は」と、日本語と英語をまぜてうまく言えないことをなんとか言おうとしながら泣き出し、私も初めて涙があふれた。別れの覚悟は出来ていたけど、どこかで私を止めてくれるんじゃないかと期待していた。元婚約者が、別れないで、結婚しようと言ってくれることを。私の別れの提案に元婚約者が同意して別れが決定してみると、自分がそんな期待をしていたことが改めてはっきりして、後悔で心臓のあたりがキリキリと痛んだ。それでも、別れを撤回する言葉は口から出てこないのだ。自分の手で元婚約者の写真を捨てることはできないのに、かわりに捨てようと差し出す手をふりはらうこともまた、できないのと同じように。元婚約者が同意した別れを、例えそのために元婚約者が電話の向こうで泣いていても、やはり取り消すだけの気持ちが生まれてこないのだった。

つまりそれが私の気持ちだったのだ、あの頃も、今も、と、そう今になって考えようと思えば考えることもできる。

本当は私と元婚約者のことはあの時点で終わっていたのだと思えば、すべてはずっとシンプルになる。

あのときに本当に別れていれば・・・私はシングルに戻り、その数カ月後に彼氏が現れて、私はもっとずっと自然に彼氏を好きになって、順調につきあう関係になっていたはずだ。婚約も婚約解消も、それにまつわる様々な可能性、私があきらめネければいけない可能性がもともと存在しなかったはずなのだ。

「美樹と結婚したい」。そう元婚約者が電話で私に言ったのは、あの雨の日のお別れの2週間ほどあとだった。私が鬱症状を起こすほど落ち込んで泣いて電話口で話し続けた数カ月、元婚約者はあれほど距離を置いた態度を見せていたのに、別れの宣言をしたあとのたった2週間で、心を決めてしまった。

「美樹は、結婚して子供が欲しいから、いますぐそういうことを考えられる人を探したい、だから別れたいと言ったよね。でも、僕は、美樹が誰かほかの人と結婚して子供を持つ姿を想像したら耐えられなくなった。今まで、将来のことが不安だったし、自信がなかったから結婚は考えられなかった。でも今回のことでよくわかった。結婚するなら僕には美樹しかいない」

待ちこがれた言葉だといえば、その通りだった。でもこのとき私は幸せで飛び上がるような気持ちには少しもならなかった。結婚したいと言われているのに、無性に寂しかった。

どこからやってくる寂しさだったのか・・・、元婚約者はこのとき、「別れ」と「結婚」のどちらか、という選択をせまられていたと言える。そして一度は「別れ」を選んだ。最終的には「結婚」を選んだとはいっても、私には、「別れてもかまわないと思った人と、結婚する」という意味がよくわからないのだった。元婚約者にしても、私にしても。そんなふうにして(別れるくらいなら、という理由で)結婚することが私には寂しかった。

けれどこれが私が待ち望んでいたものではないか、という自分の声が頭の中に聞こえた。元婚約者は、長いこと身にまとってすっかり体温がうつった心地よい毛布のような存在だった。また誰かと一番最初からやりなおして、そんな関係を築くにはとても時間がかかる。少なくとも今の私にそんな気力はないかもしれない。結婚するなら、私にも元婚約者しかいないのかもしれない。

こうして、結婚しようと言われてから、正式なプロポーズをされるまでにまた数カ月かかり、私はその数カ月の間もずっと迷い続けていた。

このときもまた「選べない」私だった。ある日は、もう心を決めて結婚しよう!と思うのに、またある日は、元婚約者のことを冷たいと感じた電話の会話をひとつひとつ思い出して、だめだ、あんな冷たい人と一生過ごせるわけない、などと結論するのだった。

この頃は既婚の先輩や未婚の友達、あらゆる人に意見を聞いて回ったものだった。「何言ってるの、迷うなんて20代の特権よ。32歳の美樹ちゃんに迷ってる時間なんてないわよ!」そういう東京時代の友達(既婚)がいて、そのストレートさに大笑いしたり、年齢を理由にぜひ結婚すべきだとする意見はとても多かった。

そして夏が過ぎて9月になり、正式なプロポーズにイエスと答えることとなるのだった……
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